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根深い罪

娘に薦められ、今年の夏から聖書を読み始めたことは、「はじめてのかたへ 2017」に書いた通りです。この頃はネット上ではなく、Amazonで購入した新共同訳聖書を読んでいます。(字が大きいのは値段が張るので小型にしましたけど、やはり老眼には辛いです…) 娘はやや文体の硬い口語訳を読んでいますが、娘が朗読してくれると、なんとも素敵な響きなんですよね。口語訳もいいですよ。

聖書は封印の書なので、比喩で書かれていることもあったりして、難解なところもあります。が、これまでの歴史で何度か現れたように、現代にも神様が中心者を遣わしてくださり、その人を介して宣布してくださった御言葉を頼りに、私と娘は今、必死で自分たちの人生を見直し、軌道修正し、罪を洗い出しているところです。

けれど、かれこれ50年も生きていると、明らかにこれは罪だと意識していることの他に、知っていたけれど見ないようにしていた罪、罪だとは全く思いもしなかった罪、本当に次々と現れてきます。それがスムーズに現れてくれれば良いのですが、そうは行かないのがやはり罪で。

聖書や御言葉を繰り返し読みながら、何度打ちのめされたか分かりませんし、それは現在も進行中です。罪の無い人間などいない。落ち込む暇があったら隅から隅まで何度も点検して、どんな小さなことでも気付いたら、神様どうか清めてくださいと祈ります。

このブログに書き連ねてきた内容は何もかもが、低級霊=チンピラを、中級霊=ヤクザに祓ってもらうだけの記録であることは、「はじめてのかたへ 2017」にも書きましたが、昨夜ようやく気付いた私の罪は、この記録を残しておくことで悪の波長を垂れ流していたことです。

当初、私たちと同じような体験をしている人をネット上で探しても見つからず、ならばこの記録が「小さい子供が霊体験をして悩む親の参考になれば」という思いがあり置いてありました。が、私たちが試してきたあらゆる方法は、そもそも、どれも根本に悪魔崇拝があり、間違いだとわかったのに置いておく理由は無いはずなのに、と考えた時、私の中に、この特殊な体験を特別なものとしてむしろ得意げに思う気持ちがあるのでは?と気付いたのです。母親として、こんなに大変な思いをしたのよ、と。

全くの偽善でした。

これまでコメント下さった方々にも、本当に申し訳ありませんでした。ご好意で寄せてくださった皆さんのコメントを消してしまうことになって、謝ることしか出来ませんが、どうか、これまで霊に遭遇した時の対処法として私たちが試してきた数々の方法を、忘れて下さい。

塩は有効だったとか、パワーストーンは有効だったとか、真言は有効だったとか、思われる方はいると思います。もちろん効果はあります。しかしそれは、悪魔の世界だけの話なのです。1つ上の悪魔、更に1つ上の悪魔、と頼っていっても、最終的にラスボスがそこにいるだけです。どうか、そんな深みに嵌らないでください。

はっきり言いますが、天照大神やスサノオは悪魔です。

仏教の「お経」や「真言」が悪魔を召喚するための呪文であり、仏教が悪魔教であるという確たる証拠。

イエズス会と真言密教と浄土真宗と人肉食信仰「クロ宗」の奇妙な接点。フランシスコ・ザビエルを日本に招いた「ヤジロウ」から分かる悪魔教の現実。

そうとは気付かずに、私は子供たちのことで散々頼り、ネットで調べては真言を口にしていました。

気付かなかったから良いという問題ではありません。

もっとも重要な願いだったのに、「子供たちを完全に救う」ことは(悪魔に頼っていたので当然ですが)出来ませんでしたし、あまつさえ、低級霊との付き合いを深めてしまい、その証拠に息子は妙な超能力を身に着けてしまう始末でした。

世の中のあらゆる超能力もどきは、神様の行われる奇跡とはもちろん違いますから。

聖書には全て書いてあります。色々な解説本もありますが、そんなものを読まなくても本当のことを知るには聖書を読めばいいだけです。

だいぶ読み進めた今は、私にもよくわかります。

つまり息子がやっているように見えていたそれは、息子に入った悪魔がやっていたことでした。波長が合ってしまえば、悪魔にはそんな芸当朝飯前なのです。

けっして、それを面白がっていたわけではありませんでしたが、不思議だね、とは話し合っても、とりあえず心の引き出しにしまっておくことを繰り返してきました。いえ、危機感を持たなかったのですから、面白がっていたことと同じかもしれません。

神様は法則のかたですから、そんなことを人にさせたりしません。

悪魔だけが、人間の面白がりそうなことやプライドをくすぐる方法を駆使して、取り込もうとするのです。

真夏にサスペンスやホラーを楽しむ人も世の中にはいますよね。怖いもの見たさ、とも言いますが、私はあの類が本当にいやで、子供たちが小さい頃も面白がってテレビをじっと見入るのも不安で仕方ありませんでしたが、強制的に止めさせるまではしませんでした。そんな風に、この世の中のすべての情報、文化に、悪魔が実に巧みに罠を張り巡らせているのが現実です。

聖書の神様に背いた歴史は、さかのぼれば私の親の親の親の背景にも天照大神や仏教があり、もちろん私の親もそれを受け継ぎ、私の育つ背景にも天照が、そして真実の神様から離れたキリスト教のカトリック(保育園)があり、子供たちにもプロテスタント(これも保育園)があり、私は大学生時代に(神様の御計らいにより、親に渡航を反対され未遂ですが)インドにも魅せられ、ユングやフロイトの本も読み、パワーストーンのブレスレットを自作し、昨年までヨガ(ストレッチ程度ですが)にも通い、と、いわゆるスピリチュアル系の下地もがっつりあるのです。

だから子供たちに霊とオーラが見えるようになってから、その対処を考えるにあたり、宗教はともかく、宗教組織や団体をあれほど嫌悪しておきながらそのエッセンスだけは取り入れ、実行してしまっていたのだと思います。

先祖代々、私たちに入り込んだ悪魔の手口は、実に巧妙と言うほかありません。すっかりいいようにされてきました。

それなのに、神様は私たちをお見捨てになりませんでした。

今にして思えば、あれは明らかに悪魔でなく、神様が助けてくださったと思える出来事がたくさんあります。悪魔の得になるようなことでは無かったから、はっきりとわかります。いつか私たちが気付く時が来ると、根気強く待っていてくださったことを、私たちはどんなに感謝してもしきれません。どのようにお返しすれば良いのか、途方に暮れるほどです。


主よ、いつもお導きくださり感謝しています。

私はこれからも、私の中のあらゆる罪を探し出しますから、どうかすべて清めてくださり、神様の愛と聖霊を豊かに受けられますように。そしてこの世の中の悪魔、悪霊、雑霊を、すべて滅ぼし焼き尽くしてくださり、多くの人が救われ、正しいこと、筋の通ったことが行える世の中にしてくださいますように。

主の御名により、祈り求めます。



皆様にもどうか神様からの祝福がありますように。


両方とも大事

妙な夢を見た。

昔別れた夫と、なぜか、どこかの店に入る。

喫茶店のカウンターに並んで座ると、元夫が、カウンターの中にいるマスターのようなおじさんを、この人は自分の親戚だと紹介する。

ニコリともしないマスターは何か料理を作っていて、私たちの前にそれぞれスープか何かが入った器を出した。

隣で元夫が、中の液体に浸した物を口にして、美味しいから食べろと言う。

その浸した物が何かとよく見てもわからないので、私が動かずにいたら、向かいからマスターが差し出したものは羽毛の小さな羽みたいな物だった。

え?これをスープに浸して食べる?こんなものを食べて大丈夫なのかと言うと、体に良いからとか何とか言われた。

いやいや。そんなの科学的にも医学的にも、何の根拠も無いでしょうと言う私。

ところが、それではどうにも説得できる様子ではない。

そんな夢。

目が覚めてから、ああ、私の頭の中にはまだ、聖書や御言葉がしっかり入っていないなぁと思った。

科学や医学はもう、私の肉体を私自身が守るには充分な知識を学んでいるし、これからも得ようと思えば簡単に得られるから、それはいい。

でもあの場面で必要なことは、自分を霊的に守るにはどうすればいいか、ということだった。

肉体だけではなく、霊体も鍛えないと駄目。

旧約はまだ2/3残ってる…がんばろう。

と反省させてくれた悪魔、おつ。

悪魔を通してお知らせいただいた神様には、大変申し訳ないです。

感謝します。

悪魔とオセロその2

私はたまたま、新約時代から聖書を読み始めたのでわかっていなかったのですが、最後に黙示録を読んでも難しくて理解出来なかったのでやっぱり最初から読むかと創世記に戻ってみたら、これまでの長い歴史で人は、何度も何度も失敗を繰り返していると知りました。

いやもう本当に、読みながら「はぁ?またなの?」と何回つぶやいた事か。人の歴史って、失敗の繰り返しなんですねぇ。びっくり。

しかも神様の善や愛に対する反逆の歴史なんだもの。で、そのたびに、ごめんなさいもうしません神様ゆるして下さいと謝って、そうかそれなら許したろうと、これまた神様も何度でも許しちゃう。もうしません、って人が言うから。神様は愛の方だから。

で、もうしませんって言ったくせに、またやるのが人間で。

昔だって悪い人ばかりじゃなかったのでしょうが、今の日本を見ても、良くないと解っていても大勢に流され、結果、生きにくい世の中で多くの人が苦しんでいるのだから、何も変わっていないですね。

人生なんて何も変わらない、と思い込まされる人間を見て、悪魔や雑霊は超喜んでいるなぁと思うと、イラッときます。

幼い頃の娘に引っ付いていた雑霊にも相当イラッとしましたが(私の親としての未熟さ、弱さが呼び寄せたのだろうと今は反省しています)、正しいことをしようと思っている思考回路に、横から邪な思考をそーっと差し挟んでくる霊の存在に気付いてしまえば、実は対処は案外簡単なのです。

高価な天然石のブレスレットをしたり、塩をふってみたり、パワースポットに行ったり神社仏閣を拝んだり(これ悪魔崇拝ですからね。神様に反逆したい悪魔が、神様が愛する人間にわざと拝ませようと、神様を悲しませる為に創った文化です)する必要は微塵も無く、

ただただ、胸の中に神様を思い描いて、正しいことをしたい、そうできる世の中になってほしい、厄介な悪魔は滅びろと、強く祈ることです。

でも、お願いするのだから、ならばそのかわり自分には何が出来るのだろうか?と考える必要があります。

神様は人に幸せになってほしいと思っているから助けてくれる。私たちだって幸せになりたいと思うなら、自分を惑わせる悪と闘わないと。

これまで人間は失敗しすぎているから、もう後はないですよ。

知恵を使い、黒をひっくり返して白優勢にしたいものです。

悪魔とオセロ

子供たちが霊やオーラを見ていた頃、私は自分たちに起きているどんな事に対しても偏見を持たず、中庸の精神でいようと努めました。

起きていることには意味があると思っていたけれど、でもだからといって、それが特別なことだと思うと考えが偏ってしまうからです。

なので、物事のバランスを取ることが大事だと考えていた私は、太極図の陰と陽のマークも好きでしたし(ブランドのロゴでもありますね)、それを子供たちが小さい頃には話して聞かせもしました。

恐らく私のこの考え方に、ある時から娘はずっと不満があったのでしょう。

この姿勢は、世の中のあらゆるシステムに対して何かおかしいと感じているのにも関わらず、

「でも、社会生活とはそういうもの。黒も白もグレーもある。自分だって、悪人では無いけれど、時には悪いこともする。犯罪じゃなければ、それくらいはいいんじゃない?」

と思いながら日々生活しているのと、同じだからです。

この、平和的で耳障りの良い、陰陽混ざって良しと受け入れる姿勢は、結局のところ、物事を善悪に分けられない優柔不断さから来ているからです。

そもそも聖書を書かせた神様は、善悪をはっきりと分けるヒトでした。それを人は厳しいことを言うなぁと感じてしまう。

だからこそ悪魔、悪霊は、もっと楽にグレーで生きていいんだよと、最初は白9:黒1の割合で混ぜて上手に人を操り、気付かないうちに5:5を浸透させてきました。

これが不幸のループの始まりです。

つまり善人がいても、悪人が同じだけいるから、戦争を止めさせたい人と戦争でお金儲けをする人が混在してしまい、常に世界のどこかで誰かが殺し殺され続けている。

最初は人殺しはダメだと言っていても、戦争だから仕方ない、と思わされたのが私の親や、その親の世代です。

では今の日本は戦争をしていない?いいえ。世界のどこかで起きている戦争の道具を、日本企業が製造して利益を得ています。その人達は、戦争が無くなったら本当は困るのです。

何よりも、オーラが真っ黒な現首相や閣僚が、日本をまた戦争が出来る国にしましたね。

私が小さい頃、テレビCMでは笹川さんというお爺さんが「人類はみな兄弟!」と高らかに言っていましたが、そのセリフと、あの人のオーラの黒さの対比は幼心にも異様でした。

一日に何度も流されるそのCMを見ている時、この人嫌いだとか何とか言った私に、親が横から「この人は良いことをしている団体の会長だよ」のようなことを言ったのです。

親としては、人の悪口を言うものじゃないという教えのつもりだったのでしょう。本心からそう思っていたわけではないはずです。当時の大人は誰しも、その人が裏でやっていることを知っていたから。

こうして私たちの世代もまた、世の中のダブルスタンダードに慣れていったのです。

まさに悪魔の思う壺でした。

正しいこと、筋の通ったこと

息子夫婦の子供は、現在8ヶ月。つかまり立ちをしては、振り向きざまのドヤ顔で私たちを笑わせてくれます。

この子が分別のつく年頃になるまでに、いえ、出来ればもっともっと早くに、私はあらゆる我、欲、情を捨てようと日々奮闘しています。

部屋の中はあらかた片付きました。ただ年のせいなのか、やはり物が多いので、捨てても捨ててもまだ追い付かない。情けないことです。

息子夫婦の家にしても、やはり職業上というか、ゲーム関連のアダルトなキャラクターグッズなども部屋に溢れていたので、これが片付かないまま孫がいつか大きくなるのは嫌だなと思っていたのです。

が、娘に伝道された息子が、それらを一気に捨てまくったので、今や部屋の中はスッカラカン。ほっとしました。

大の大人が、聖書に触れたからといって生活を改めていくのは、いかにも変な宗教にはまった人みたいだと思う人もいるかもしれませんが、事はもっともっと単純なのです。

たとえばコンビニの本棚の、登下校の小学生でも目にする高さの棚に並ぶアダルト雑誌。

あれを、物心ついた子どもにどう説明しますか?

大抵の大人は、見ちゃだめよと言うでしょう。でも見ちゃだめな物がなぜ目に入るところにあるのか、きちんと説明できますか?

それが出来る大人である為に、自分自身が真理を理解し、正しく、筋の通った生き方をしなければならない。

どうして世の中がこれほど捻れているのか、おかしなダブルスタンダードがまかり通るのか。

きちんと孫に説明できる大人でありたい、ただ単純に心からそう思います。

愛と情


例えば歯科予防処置として来院する患者さんの中には、高齢の患者さんもいらっしゃる。(年々増えている)

体調もあるので、今その患者さんに出来る範囲でのセルフケアを提案し、実践してもらうのも私の仕事だけれど、ご自分の思うとおりに手が動かない、気持ちが乗らない、そんな時だってある。

するとそういう時に、「ま、いつ死ぬか分からないから、もういいんだけどね」と諦めたように、中には苛つきながら言う患者さんも多い。

まだ駆け出しの頃の私なら答え方に窮したかもしれないが、半世紀も生きてきた今は、「まあ、いつ死ぬかは自分じゃなくて神様が決めることだし」と答えてしまっても、「ハハハ違いない!」と笑う患者さんに「はい、じゃあ、コレだけはがんばってやってみてくださいね」と、むしろその場は穏やかに収まる。

年齢と共に言うことを聞かない体との、日々の付き合い。その気持ちにどう折り合いをつけていけば、そしてどんなテクニックを駆使すれば今の状態を保てるのか一緒に考え、知恵を絞る。

患者さんの気持ちになり、同調しなければ、出る知恵も出ないのだ。

もし指導の最中に私が、そんな患者さんに同情して一言でも「お気持ちはわかります」とか、本当にそう思っていたとしても口にしたら最後、患者さんはムッとしてしまってその後の私の話を受け入れてはくれないだろう。あんたに何がわかるんだ?と。

同調と同情は違う、という話に似たものに、愛と情がある。

愛情、と一括りに使うことも多いけれど、愛は普遍的なもので、そこに情がからむと非常に厄介だ。

以前、書いたことがあるかもしれないが、昔、息子に話したことがある。

もしあなたが犯罪を犯したと私にわかったら、誰が知らなくても、私があなたを警察に連れて行くよ、と。

愛情を愛だと履き違えた親ならば、客観的事実に目をつむって「あなたがそんな事をするはずないわよね」と盲信し庇うとか、匿うとか、お金をやって逃がすとか、するのかもしれない。

愛ある親ならば、子供が刑事罰を受けた後、社会がどんなに偏見の目で見ようとも、母親もつめたい目で見られようとも、支え合って真っ当に生きていこうとする。

前者は、世の中の迷惑以外のなにものでもない。誰も幸せにはなれない。

同調と同情


世間では病院に勤める看護士のあるあるで、夜勤での霊体験話がある。歯科ではその場でお亡くなりになるケースはまれなので、夜の医院であっても幽霊に遭うことはない。たぶん。

ただ、口は災いの元という言葉があったり、イラストでも口から魂が抜けていく様子が面白可笑しく描かれていたり、怖いマンガでは逆に口から悪霊に入られたりと、口は飲食や発音だけではない器官として扱われていたりする。

それでなのか歯科衛生士という仕事は、患者さんの様々な状態が現れる口の中を日々覗き込んでいるので、自分自身の経験が浅い、つまり未熟だと、ダイレクトに霊的なさわり(霊障)を受けることがある。

そういえば昔、お祓いをする方に、人間の口を覗き込んでいると「もらう」と言われたこともあった。

(霊とは関係無いけれど、アメリカではなりたくない職業の上位に歯科医師、歯科衛生士が入っている。体中のどこよりも細菌が多い最も汚い場所を覗き込み、汚染された血液や唾液などの飛沫を浴びる仕事だから)

それなら歯医者はどうかというと、麻酔をして削り、詰める又は被せる、という医療行為は、語弊があるかもしれないが意識的に上から下、もしくは一方通行に近いので、側で見ている限り、治療行為の間はさわりは無いように見える。

ただ患者さんとのコミュニケーションが必要な場面においては、やはり感情のやりとりだからか、途端にさわりを受けていることがある。

「面倒な患者の相手をしたくないから」なのだろうが、無意識に霊障を避けようとするからか、患者対応を助手や衛生士にまる投げする歯科医もいる。

ところで、虫歯も歯周病も生活習慣病だから、コントロールするスキルを学んでもらうためには問診が重要となる。いつどんな時にどんな嗜好品を口にしているのか、どんな職業か、家族構成は、睡眠時間は、など他にも様々な質問事項がある。

そのうちに信頼関係ができてくると、御家族との確執や、会社での出来事など、ごくプライベートな問題も伺うことになる。

大抵、問題の核心はそこにあって、心を解しながらより良い状態に持っていけるように寄り添うから、結果、心の奥深くに入ることになり、気を抜けばさわりも受けやすい。

で、それら霊障を受けない方法がある。

これは終末期医療(余命わずかな患者さんに接する場)でも言えることで、「同調はしても同情はしない」ことだ。

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yoko

  • Author:yoko
  • ’06年までは、『霊やオーラを見るのも子どもの個性の一つ。ちょっと悩む時もあるけれど、発見を楽しみながら自然体で行こう!なブログ』でした。
    ’08年現在、特に悩みも無く日々の暮らしを淡々と綴るブログです。(恐らく)
    そして’17年、紆余曲折を経て私たちに転機が訪れました。これまでを振り返るとただただ反省しかありませんが、今は感謝と喜びでいっぱいです。

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